ワタシノオト

つれづれなるままに。

家族

ここ数日、家族漫画シリーズがヒットした某漫画家さんがSNSで話題になっている。

アニメ化も映画化もされたその作品に登場した娘さんが、成人した今、お母さんとの関係で、とても苦しい状況にあるという。

実はその漫画はうちにもあって(夫が集めている)、私も半分くらい読んだ。途中から、正直言って飽きてしまって読んでいない。でもあれは、半分くらいはフィクションで、色々な苦労はしたけれど幸福な家族の話だと思っていた。

でも、違ったみたい。

その家族の中で育った娘さんのブログを少し読んだ。

SNSで話題になっていた回はご本人が非公開にしたようで読んでいないけど、それ以外のブログもとても胸に響く。あのお母さん、結局、子供と向き合うことから逃げていただけのか。そう思ったら、身近に感じたことも事実だけれど。

あの漫画を、フィクションだと思って微笑ましく読んでいた自分を叱りたい。知らなかったこととはいえ、彼女はとても苦しんでいたのに。

このことで、思い出したことがある。

多分、私が小学生のころ、母親に「家族だって、それぞれは他人じゃない?」と言ったことがある。そうしたら母が、「●●(私の名前)は冷たいのねぇ」と言った。それを聞いて、そうか、そういう風に思うことは冷たい人間なんだって、心に何らかの封印をしたと思う。

でも、もうすぐに50歳を迎えるという今になって、あのときの私は間違っていなかったと思う。人間は一人で生まれて、生きて、一人で死んでいく。みんな他人だ。「生きて」の部分は長いので、「家族」とか「友達」とか「パートナー」とか、何らかの形を作って不便なところを補ったり利便性を高めたりしている。でもこれは任意で、一人で生まれて一人で生きて一人で死んでいくことだって可能だ。家族なんて、大きな意味はない。結局、自分で自分をケアするしかない。

でも、自分は常に一人だと思うことで、家族にも友達にもパートナーにも優しくなれるし、互いの尊厳を守れるのではないだろうか。そして、自分の尊厳も。

なんだかね、周りを見ても人生の残りはそう多くないと思えるこの時期になって、色々と考えてしまう。