朝、昨日のキムチ鍋の残りでおじやを作っていたら、息子が起きてきた。
風邪を引いたらしく、何か食べてからまた寝ようと思うという。なので、「キムチおじやを作ってるよ。食べる?」と聞くと、「あー、うん、でも、それはお母さんが食べるんでしょ...」と気乗りがしない様子。「いっぱいあるから大丈夫。あったまるよ?」と言っても、もにょもにょ言いながら、結局、冷凍のチキンナゲットをチンして食べて寝てしまった。よく言えば優しい、悪く言えば優柔不断な息子は、面と向かって「いらない」とは言えなかったと推察される。
子育て初級・中級あたりの私なら落ち込んでいただろう。(私が作った)おじやより(ジャンクな)冷凍食品の方がよいのか...とか、息子が好きそうなもの(菓子パンとか肉まんとか)を買っておけばよかった...とか、風邪気味なんだし、おじやが嫌ならおうどんでも作ってあげるべきだった...とか。
しかし、子育て卒業間近の私は気にしない。人はそれぞれ食べたいものを食べたいときに食べる自由があるし、そもそも私と息子は食の好みがだいぶ違う(私はおじやとかおかゆが大好きなのだが、多分、息子はそういうものに心惹かれないタイプ)。それに、(普段は朝食を取らない)成人の息子の朝食の心配は不要だし、ちょっと風邪気味なくらいで頼まれもしないのにあれこれ世話を焼くべきでもない。
幼い息子をしかるとき、私の決め台詞は「もうお世話しないよ!」で、そうすると息子は泣きながら「もうしないから、お世話して!」と訴えてきたものだった(「お世話」は保育園用語。年長さんが年少さんの面倒をみること)。こういうとき、もう私の「お世話」は不要になったのだという寂しさも少しは感じるけれど、こういう風に考えられるようになった自分の(親としての)成長を実感して嬉しくなり、まだまだ自分にも伸びしろがある、とわくわくしてしまうのだ(変なのは自覚している)。
キムチおじやはとても美味しかった。